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2009年7月

総選挙、この一票を何に託そうかと思う。その2

 ルールを守り、守らせることができる政党に投票しようと思う。

 今、派遣労働が問題になっている。雇用契約2年11ヶ月というのがやたらに多い。3年になったら直接雇用しなければならないので、いったん契約を打ち切りあらたに契約する。この方法で実際の雇用年数は5年になろうと10年になろうと直接雇用の責任は果たさない。

 直接雇用されているから恵まれているというわけではない。「名ばかり管理職」いう問題があった。実際に管理職たる権限を有しないのに管理職とされて残業代をカットされる。

 残業代をカットされるのはなにも「名ばかり管理職」だけではない。一般社員のあいだにだって「サービス残業は」は横行している。

 日本では有給休暇の取得率が低いという。確かもうずっと昔の最高裁判例で有給休暇の取得には理由を明示する必要はないというのがあったと思うが、実際には会社に理由を告げて許可を受けて始めて休めるというのが大方の会社ではないか。しかもその取得率はその後の査定に響くとか。

 パートだって有給休暇を取れる。その根拠は労働基準法が労働日数は規定しているが労働時間は規定していないからだ。しかしそんなことはほとんどのパート従事者には知らされない。かりに知ったとしても自動的に取れるわけではない。会社とそれなりの交渉をして頑張ってやっと取れるというのが現実だろう。それだってパート契約の更新をちらつかされた実際に取れるかどうかわからない。

 何のためのルールかと思う。守られないのならなくても同じではないかとも思う。

 でもこれらのルールは守ってくれるものなのではなく守らせるものなのだろうと思う。

 でも日本ではその守らせるという国民的経験が少ないのだと思う。ヨーロッパの革命運動、レジスタンス、パルチザン等の抵抗運動の歴史から培われた国民的意識と比べたらはるかに遅れているのだと思う。

 そしてさらに、資源のない日本にとっては貿易立国こそが命綱との認識が広く深く植えつけられている。その認識の下では労働条件のほとんどがコストと認識される。貿易立国たる日本でコストを上げたら国際競争力はどうなる?という宣伝が横行する。

 でもあらためて何のためにルールがあるのだと思う。守られない憲法があって、守られない労動基準法があって、守られない派遣法があって、守られない・・・・・があって。

 あらためて今度の総選挙、ルールを守り、守らせることができる政党に投票しようと思う。(2009/7/28/No.164)

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総選挙、この一票を何に託そうかと思う。

 ここ十何年かは昨日よりは今日、今日よりは明日と、時に一日単位で手持ち資産が目に見えて増えていく時代だった。“才覚”のある人はほとんど人生経験のない人でも、あるいは学生でも臆のカネを動かして世の中を謳歌していける時代だった。元手はいらない。ほとんどゼロ金利に近い状態でカネを融通してくれる。そういう社会において毎日をほとんど同じ営みで過ごしている人々がバカ者扱いされた。そういう働き方をしている人々が“負け組み”と称された。家庭にいて自由にできるカネを動かすだけで何の生産をすることもなく何のサービスを提供することもない人々が一日一日が変化の毎日、裕福への毎日ともてはやされた。

 そのようなカネ回り社会に対応して世の中にはありとあらゆる商品があふれた。都会に行けばきらびやかなショッピングモールなどが登場し、テレビでは健康診断的にはかなり問題があるのではないかと思われるタレントがこれでもかと美食を腹の中に詰め込んでいる。アメリカではサブプライムローンと、一般的には信用力の低い人、低所得者等と訳されるが中には自己破産者もいたという、そういう人たちにも住宅購入を保障するという社会が登場した。

 しかしバブル崩壊でその社会が崩れた。だからその社会は終わりを告げるだろうということではない。確かにバブル崩壊で痛い目にあった人の中にはもう二度と手を出さないという人々がいるだろう。しかし実際はそうではない。この社会をつくった中心的な勢力は国民の税金によって救済されている。この社会の根幹を揺るがさないようにという名目で。

 この救済された人々とそれを保障した政治勢力はこの社会が続くのが当然だと思っている。だから今後再び復活してまた失敗してもまた救済されるだろうと思っている。この社会が続くのがあたりまえ、当然だと思っているからだ。

 総選挙を前にして小泉「構造改革」路線に対して、官から民へという基本路線は正しい、ただ度を越した、セーフティネットが十分でなかった等と主張する政治勢力がいる。しかし度を越したから、それでみずから自己規制できるならバブルは起きない。崩壊も起きない。でもアメリカを中心としたバブル世界は自己規制できると信じていた。でも崩壊した。

 この社会の復活を目指す政治勢力、カネがカネを生む社会に基本的に理解を示す勢力には投票すべきでないと思う。これら勢力の復活を許さず、やりたい放題を許さない、そういう展望と政策を持った政治勢力に投票しようと思う。(2009/7/26/No.163)

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明日、衆議院解散。大企業の繁栄と国民生活とのかい離と、それが最大の争点だ。

 明日21日、衆議院が解散される。この期に及んでやっぱりやめたということはおそらくないだろうと思う。

 今回の選挙ではマスメディアを中心に、自民・民主での政権交代ということが最大の焦点だと報道されている。しかしそれは大相撲でだれが優勝するか、プロ野球でどこが優勝するかというのと同じたぐいの取り上げ方ではないのかと思う。有権者は応援団のごとく“たいこ(おさら)”「たたいてチャンチキおけさ」と酔いしれる。はっきり言ってそういうたぐいの取りあげ方だと思う。

 しかし今度の選挙、大企業の繁栄と国民生活とのかい離と、それが最大の争点だと思う。

 ここに来て「景気底入れ」なる宣伝がされている。 日銀の7月の金融経済月報は景気の先行きについて「次第に持ち直しに向かう」としている。「輸出や生産が持ち直していくため」だという(7/16/NIKKEI NET)。おそらく中国バブルの影響だろう。

 中国の4~6月期の国内総生産(GDP)は実質で前年同期に比べ7.9%増え、1~3月期の6.1%より大幅に拡大した。「大規模な公共投資を柱とする4兆元(約55兆円)の景気刺激策の効果が表れ」たのだとい(7/16/NIKKEI NET)。

 中国バブルの影響で輸出が増えればとりあえず生産が回復して仕事が増える。仕事がまったくないという最悪期に比べれば良くなりつつありというムードも広がる。

 しかし、輸出大企業が繁栄を取り戻せば国民生活の豊かさも取り戻せるのか?「失われた10年」、その後の10年、その経験から言って今後の国民生活の向上が約束されるのか?

 財界3団体の一つである経済同友会が提言をまとめている。同会企業経営委員会の長谷川閑史委員長は記者会見で、「狭い国内市場でシェア争いをしても意味がない。成長市場(アジアなど新興国)に出て行かなければ長期的に衰退の道を歩むことになる」と述べたのだという(7/4/6:48/NHK HP)。

この発言から日本国内の経済を復活させるという“心”が感じられるか。日本が誇る物づくりはどうなるんだ。日本国内の雇用はどうなるんだ。企業の繁栄のためなら日本という国も平気で捨てるということではないか。

 もちろんこれら大企業が海外に進出して儲けてくれば日本国内も豊かになると信じている人もいるだろう。しかしバブル崩壊前の日本で「実感なき景気回復」と言われた時期があった。本当に大企業の繁栄が国民生活の向上に役立つのか。

 国民生活に「痛み」を強要しても大企業のための応援政策を取るのか?そのことがいいのかどうか、今度の選挙の最大の争点だと思う。(2009/7/20/No.162)

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24年連続で長寿世界一(女性)の日本の今後をどう考えるか?

 「日本人の2008年の平均寿命は女性が86・05歳、男性79・29歳で、いずれも3年続けて過去最高を更新した」そうだ(7/16/16:33/東京新聞 HP)。女性は24年連続で世界一だそうだ。 

 人生にはいろいろなことがある。病気、予期せぬ事故、憎むべき犯罪等で無念にも若くして命を落とす人もいる。そうした中で長い年月を生きられたということはある意味では幸運なことだと思う。
 
 子、孫、ひ孫などに恵まれ、金銭的にも恵まれ、悠々自適の生活を送っているお年よりもいるだろう。かと思えば低額年金や「後期高齢者」医療差別等に苦しむお年よりもいるだろう。

 平和の維持、科学、医療の進歩、事故、犯罪の撲滅などが進めば今後間違いなく長寿が進むだろう。そうした状況の中ではもはや現役世代と高齢世代などという議論ではとてもやって行けない時代になるだろう。

 高齢者もやるべき役割を果たす。そういう社会を構築しなければとてもやって行けないだろう。歳をとってからも果たすべき役割をしているという納得があれば少しばかりの贅沢を楽しめるカネがあればそれなりの老後が過ごせるのではないか。

 それはもしかしたら果たすべき役割を考える暇もなく働き続ける代償として高い地位とリッチな生活に満足感を見出す生き方にも微妙な変化を与えるかもしれない。(2009/7/18/No.161)

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自民抗争劇、久しぶりに「日和見」ということばを思い出した。

 自民党の抗争劇、結局麻生おろしの場となるはずの両院議員総会は開かれず、21日解散、8月18日公示、同30日投開票が決まったようだ。

 この両院議員総会の開催については。所属議員の3分の1(128人)以上の賛同を集めた集めないで真相は闇の中。「執行部は署名者らへの切り崩し工作も展開し、一部で署名を取り下げる議員も出た」そうだ(7/17/NIKKEI NET)。

 昔、「日和見(ひよりみ)」ということばがあった。正確な語源は知らない。ただその漢字からは、お天気のようにくるくる変わること、ようすを見て態度を変えること、節操のないことなどの意味が想像される。

 あらためて、権力、実権を握る勢力を倒すということは大変なことだと思う。きれい事では済まない現実を乗り越える強固な立場があって初めて実現することではないか。

 8月30日に投開票される衆議院選挙で民主党による政権交代が確実視されている。しかし実際に政権を取ればパフォーマンスでは説明できない現実問題も起きるだろう。政権を負われた自民党などから激しい揺さぶりもあるだろう。はたして強固な立場での政治が保てるかどうか。(2009/7/17/No.160)

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東国原知事“旋風選挙”で政治を身近に、のつもりだったのか??

 “旋風選挙”にこだわって3回続けてこのテーマで書く。

 東国原宮崎県知事が自民党から衆議院選に立候補することを断念したそうだ。

 理由は条件にしていた地方分権の要求が認められなかったから。

 そもそもその人気を最大限に生かす“広告塔”に徹していればすんなり決まっただろうものを、地方分権だとか総裁候補にしろだとか条件をつけたためにだめになった。条件を受け入れれば自民党から出てやるということだから自民党もなめられたものだが、さすがにそこまで足もとを見られて自民党もウンとは言わなかった。

 東国原知事らが主張する地方分権の主張についてはよく知らない。ただ今の時代、地方を活性化することは日本の将来にとって重要なことだと思う。分権化で権限と財政が委譲されて住民がより身近なところで自分たちの進むべき道を考えられるということならそれは意義あることだと思う。

 でもその手法はどんなものだろうか。自民党はのどから手が出るほど人気がほしいだろう。だからそこにつけこんで高く売ってやろうと。

 実現すれば東国原旋風が起きたかもしれない。しかし自分のようにその主張する地方分権のことはほとんど知らないものが知る機会もほとんどないうちに“旋風選挙”が終わっていくのが実態だろう。(2009/7/16/No.159)

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徹頭徹尾党略では“旋風選挙”に酔いしれたくもなるか

 麻生総理大臣は東京都議選の結果を受けて21日解散、8月30日投票という日程を公言した。

 そのことについて自民党内でもめている。

 最初、なぜもめているのだろうと思った。衆議院議員の任期は9月10まで。かりに解散がなされなかったときでも任期満了ということで8月30日からそう遠くない日に選挙が行われる。誤差は1週間ではないか。

 しかし最近になってその違いがわかってきた。問題は現職議員か前職かという違いだ。

 麻生政権では総選挙を闘えないとして総裁選の前倒しを主張する人々が自民党内にいる。そういう人々は両院議員総会の開催を求めている。

 自民党の規約に詳しいわけではないが、おそらく最高議決機関は党大会だろう。そしてその次の議決機関が両院議員総会。任期満了選挙だと現職議員だから両院議員総会を開催できる。しかし解散となるとその時点で前職となるので両院議員総会が成立しない。麻生総理大臣から見れば麻生降ろしを封じることができる。一方麻生降ろしを計画するグループにとってはその道が絶たれる。徹頭徹尾党略だ。

 さらに野党側が提出した内閣不信任決議案に麻生降ろしを計画している人たちも反対した。不信任案に反対したということは信任したということだ。それでもって党内に帰れば麻生降ろしと。徹頭徹尾党略だ。

 ここまで党略を見せ付けられれば“旋風選挙”に酔いしれたくなるのも当然というものか。(2009/7/15/No.158)

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都議選、民主大勝。“旋風”選挙に酔いしれる日本人かな・・・か

 12日投開票で行われた東京都議選は民主が選挙前から20議席増やして大勝した。自民党は10議席を減らし、国政レベルでの与党、自公では61議席となり都議会の過半数を割った。民主“旋風”が吹き荒れた。

 思い起こせば4年前の前回都議選が行われた2005年は小泉純一郎元内閣が「郵政選挙」として自民・公明で衆議院の3分の2以上を獲得した年だ。このときも“旋風”が吹き荒れた年だった。

 前回のときの“旋風”は「自民党をぶっこわす」と言い放った小泉元総理大臣の在任中だった。対象にされたのは自民党だった。その自民党が大勝した。それを不思議とは思わない時代だった

 今回の都議選でも対象にされたのは自民党。そして民主が大勝した。

 こうしてみるとこの“旋風”とはなんだろうと思う。一口に表現すれば変わるかもしれないという思いだろうか。

 今回の都議選でも本来なら石原都政の審判をするというのが本当なわけだが、来るべき総選挙の前哨戦ととらえられた。たとえば東京オリンピック招致問題。民主党は基本的に賛成しているから民主大勝で支持されたということになる。しかし推進してきた自民党の大敗で拒否されたと言うこともできる。どっちなんだと。

 今回の都議選では投票率が前回より10,51%(54,50%)上がったそうだ。そのことによって前回には起きなかった“旋風”が起きた。総選挙の前哨戦とされ、その結果によっては自民党・麻生政権を動揺させ、くさびを打ち込むことができるという思いからだろうか。

 それだけ日本の政治状況に変化を求めている人がいるということだろう。しかし、変化のチャンスがあるときは投票する。なければ投票しないという態度なのだろうか。もしそうだとすればチャンスをみずからつくるという行動はしないでめぐって来るのを待っているということになるのではないだろうか。

 そしてさらに変化一般を求めるということは具体的な要求に基づいての投票ではないとも言えるのではないか。差し迫った要求はないけど変化を求める。もしそうだとしたらまさに「劇場型」の付け入る先とも言えるのではないか。(2009/7/14/No.157)

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世間はめまぐるしく動いているようだが・・・か

 “貧乏暇なし”の生活をしているうちに世間ではめまぐるしくいろんな出来事が起きている。

 5日の日曜日、静岡県の知事選挙があった。12日に投開票される東京都議会議員選挙とともに結果次第では麻生内閣の命運にも大きく影響すると言われた選挙だ。

 結果は民主などが推した候補が勝利した。自民党のある元幹事長は静岡はもともと自民が強い所、しかも相手は分裂にもかかわらずとその厳しさを語っていたようだ。

 しかし民主党というのは小沢前代表、鳩山現代表と2代続いて献金疑惑が持たれている。最近の多くの世論調査でも鳩山代表の説明は納得できないとの回答が多いようだ。にもかかわらず民主党への大きな流れができていく。

 結局自民党にはこのままのさばらせておきたくないという有権者の気持ちの表れなのだろうと思う。「各候補の公約に目を引く違いはなかった」(7/6/東京新聞社説=同HP)なのだからそれで静岡の政治が大きく変わるというものではない。にもかかわらずこういう結果になったということはおごりきった自民党に冷水を浴びせたいという有権者の気持ちなのだろうと思う。

 12日に投開票される東京都議会議員選挙でもそういう結果が出るかもしれない。しかし東京においても自民と民主の間に「目を引く」公約の違いがないのは静岡と同じだろう。

 かくして世の中刻々とめまぐるしく動いてはいくが自分の身近な生活がそれで変わっていくわけではない(2009/7/10/No.156)

 

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選挙の季節の到来。争点の前に第一の論点は東国原知事らの“扱い方”だろう。テレビの影響力を打ち破らなければ日本の未来はない。

 明日7月3日、東京都議会議員選挙が告示される。その投票日(12日)から60日後(9/10)に衆議院議員の任期満了を迎えるとあって各党とも総選挙の前哨戦として総力をあげて取り組むことになる。

 そうした中で今その動静がメディアの間で話題化されている人物がいる。宮崎県の東国原知事らだ。

 東国原知事についてはまだ県知事の任期が残っているにもかかわらず条件が満たされれば自民党から衆議院選に打って出るというのだ。

 その条件は自民党が「地方分権」の提言を受け入れること。そして自分を自民党の総裁候補にすることの二つ。

 麻生内閣の支持率はここに来てまたもや「危険水域」だという。しかも世は「100年に1度の金融=経済危機」から抜け出していない。小泉純一郎元首相は「小泉チルドレン」を相手に「野党になることもあっていい」と語ったのだという(6/30/NIKKEI NET)

 東国原知事はそうした自民党からなぜ国政にうって出ようというのだろうか。今日あたりのテレビニュースを見ていると「(私が出れば)負けさせません」みたいな発言をしていた。自分の知名度と人気によほどの自信があるようだ。自分が動けばその人気と知名度で世論に大きな影響力を与えることができるんだと言わんばかりの行動だ。しかしこれはおごりというものだろう。

 そもそも東国原知事が当選したのには「そのまんま東」の知名度と人気が大きかった。その後その知名度と人気を発揮して宮崎県のアピールと宮崎県の産物の普及に貢献した。それゆえに今、宮崎県では知事への人気と支持率は高い。しかしこの人が総理大臣になったとき「そのまんま東」の知名度と人気がアメリカや中国に通用するとでも言うのだろうか。

 同じように大阪府の橋下知事、自分たちがどの政党を支持しているかを表明して総選挙に影響力を与えようという。支持者がほとんど集まらずに頓挫しているようだが、こちらもどこぞのテレビの「行列の・・」という番組で名前を売った人。もしテレビがなければ二人とも今の知事という職にいられたかどうかわからない人たちだ。

 そんな二人をテレビがことあるごとに取り上げている。解散総選挙が注目を集めているとはいえ、地道な政策論争ではそれほどの視聴率は稼げない。しかし注目される人気者が登場すればそのその動静の一つ一つが視聴率を集める。なにも政治問題に限ったことではない。地元であれしたこれしたというたぐいの話題の一つ一つが視聴率の対象になる。小泉純一郎元首相はそのたぐいの手法で人気絶頂の政権を築いた。

 そんなことが繰り返されていいのだろうかと思う。テレビの利潤追求主義、それを阻止できない社内組織とサラリーマン意識、そしてそれらの番組を無批判に受け入れる視聴者と、今、もしかしたらいろいろな面で気がついたときにはもう遅いという局面にたたされているかもしれないときにこのままでいいのかと思う。総選挙が間近にせまった今、争点をじっくり議論する前にこの問題をじっくりと議論する必要があるのではないだろうか。(2009/7/2/No.155)

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